私は福井県在住のサラリーマンハンター・・・希望者。
現在、銃所持許可申請中です・・・。はああ長い!!
さて、銃の所持許可申請を出してから、警察の身辺調査が行われる中で、後から聞いた身内に対しての質問で、私が強く印象に残った質問があります。それがこれ。
「生き物の命を奪うような行為をやりたいって言っている人間は、本当に正しいと思われますか?」
これはね、本当に心に突き刺さりますね!
さて、最近「プアさん」の「ハンターになってわかった狩猟と命と迷信のお話。」という記事とそれに連なるコメント、そして「ちはるの森」のウサギ記事を読んで、悩みに悩んでます。
下記写真は炎上となったウサギ記事写真です。まあ炎上の詳細は記事読んでみてください。
さて本題は狩猟による殺戮は許されるのか?という問題です。
ハンターの気持ちを代弁した形で、反対派に向けて良く言われるのが、
「あなただって肉食べるでしょ!その肉ってどこかで家畜が殺されているわけでしょ!!家畜が殺されるのはいいけど、ハンターが殺すのはダメなの!!」
ってやつですね。
私も最近まで、この反論で全てOKだと思ってました。
しかし、どんなに差し引いて考えても、生活のために屠殺業を職業とするプロと、私のように趣味でハンターになろうとしている人間とは、まるで違うということに、上記の記事で気が付きました。
例えば、保健所による野良犬の殺処分や、薬の開発のための動物実験、そして屠殺業。
どれも、現代日本において仕事として必要な作業です。
そしてその作業の結果、動物を「殺す」行為となっているだけです。
いわゆる仕事です。
一方ハンターは、誰から望まれたわけでもなく、自発的に動物を殺したいという道を選んでます。
いわゆる趣味です。
そうなんですね、農家のような職業的ハンターはさておいて、私のようなサラリーマンハンターは、動物を殺したいから銃を持つ!という意思表示を、警察も含めて家族にも職場にも宣言するようなものなんですね。
ハンターを名乗るということは、そういうことだと遅ればせながら初めて知りました。
最初の質問に戻ります。
「生き物の命を奪うような行為をやりたいって言っている人間は、本当に正しいと思われますか?」
やっぱり私は、この質問に一言で明確に答えられる知識と国語力ありません。
あっはっは!って笑って、「いやあ!一応狩猟は日本でも許可とれば認められている行為なんですよね・・・。なんでやりたいかっていわれても・・・捕って食べたいってしか言いようがないですねえ・・・。」ってくらいが精一杯です。
さて、私は一言では答えられませんでしたが、長文なら答えることができます。
それは生物学的な視点で、私が考えるハンター擁護の、ひとつの考え方です。
人間は動物です。
脳が異様に発達して知性がありますが動物です。
知性は倫理や道徳を生み出し、その行動を抑制することができますが、それでも人間は動物です。
人間は雑食動物です。肉も草も食べます。
食べるときには「食欲」という欲が生まれます。
そして生物は欲が満たされたときには満足感が得られます。
例えば、もし「性欲」という欲が満たされたときに不快感を得たなら、子孫を残そうという行為は生まれず、生物全ては絶滅します。
人間も同じで性欲は絶対的快感です。
しかし「気持ちいい」という理由だけで「性欲」を絶対的に肯定する人間を否定的に見るのは、倫理観や道徳観という知性です。
食欲も同様です。動物的もともとの満足感からすれば、捕食行為は快感です。雑食動物の人間も、捕食行為は快感です。
それを不快感に変換するのは、倫理観や道徳観といった、近代社会ベースとなった知性です。
ハンターをやりたい!
ってのは、もともと動物的な欲であり快感です。
殺生はよくない!
ってのは、後付けされた知識に伴った不快感です。
なぜ、ハンターになりたいのに殺生をためらうのか?
ハンター欲は動物的本能であり、殺生を禁じる感覚は近代日本に住む限り必要となる知識であるため、どうしても、やじろべえのように、左右に大きく感情が揺り動いてしまうと、私は考えます。
殺したいけど殺したくない相反する感情、慣れてきても慣れない作業、当たり前が当たり前じゃない・・・これがハンターの心情として当然なのではないでしょうか?
一方的に死を肯定する側も、一方的に死を否定する側も、やはり人間バランスと感情論において、一方的だと言えるんじゃないでしょうかね?
はああ・・・。
でもですねえ、こんな話、身内でもなかなかできませんよねえ・・・。
日頃打ち解けた友人相手でも、殺生の是非の基準となると、意見が割れそうで怖いですよね。
私は所持許可申請出した後、聞き取り調査を受けそうな人物には、警察には例え私が不利になっても構わないからウソ偽りなく話をして欲しいってことを伝えました。
だから、こんな質問されたって後付けで聞かされたのがキツかったです。
最後に、ちはるさんの活動が本になってますので紹介しておきます。
若い女子のハンター活動記です!興味あるでしょ!!
この記事へのコメント
hayate
現状、人間という種は「文明」「科学」を手にし、自分達が「快適」「便利」「楽しく」生活するために他の種を「利用」又は「排除」しています。
もちろん「狼」「熊」といった猛獣や「ウィルス」や「細菌」といった微生物に攻撃された事もありますし、現在でも完全に防御はできていません。
決して他の生物に対し一方的に攻撃しているだけではありません。
少女が花を摘む行為、少年が昆虫を捕まえる行為、奥様がゴキブリを殺す行為、オッサンが魚を釣る行為、私がイノシシを獲る行為(まだだけど)、どれも地球規模で考えれば大差ないと考えています。
morimori
一般的には植物や虫そして魚までが殺してもいい範囲で、鳥や4つ足はダメ!って感情論が多く見受けられます。わからんでもないですね。いわゆるペットに近い動物を殺してはいけないって感覚ですね。
私にもそれに近い感覚があります。
一方で狩猟に対する好奇心はそれ以上です。
多分肉好きの私がベジタリアンに転向するくらい、動物愛好家に狩猟を認めてもらうことは無茶で無謀なことなんでしょうね。
NIY
しばし、考えてみました。
倫理や道徳なんていう物差しで計るから難しい。
結論、
『日本は法治国家です。少なくとも私は法律に照らして正しいと思うから狩猟という『法律で認められた行為』(ここは大きめの声で)を行っています。あなたは正しいと思われますか?』
となりますね。
質問に質問返しというセコイ返し方ですが、正しいとも悪いともどちらの答えを頂いても
『なぜそう思われますか?』
と、追求します。
もっとも法の番人たる警察官が“悪い”とは絶対に答えられないと思うんですけどね。
黒猫
本人に質問するなら、NIYさんが記載されたように禅問答。本当に自分なりの答えを持っているのか、確認するための質問であり、問題ないと思慮します。
しかしながら身内などに対してそのような質問をされることは法律を否定する要素を大いに含み、それは法で禁じられた行為です。問題大ありですね。
私は狩猟を始めることによって、殺しに対する価値観が変わり、食料(肉、魚、野菜や穀物などを含む)に対する考え方も大いに変わりました。狩猟という殺戮行為は、子供達にとっても学ぶことが多く、始めて良かったと考えています。
私たちのブログも炎上しないように、十分配慮しましょう!
morimori
まあ警察側の銃所持反対の立場を考えると、身内にそのような情報をばら撒いておいて、最終的に同居人の嫁が反対の立場に考えを改めれば、めでたく所持許可が下りないって運びになることを、警察は狙っていたのではないかって考えます。
はああ・・・本当に待つだけの身は辛いです。