短距離コガモと長距離マガモ

先日、悪夢のような外し方をしました。
一回でもこういう印象が付いてしまうとダメですね。迷ったまま、疑ったまま、引き金引いても絶対に当たらないです。
で、色々とその時の状況とか、当たってた時の状況とか、色々その原因を考え出してみて、1つ1つ潰していくしかないです。

まあ1つ1つ記事にはしてませんけど、自分的には潰してきたつもりで、というか5年目も前半戦最終日となりました。
なんとか何でもいいから当てたい気持ちいっぱいで出陣です!!


さて、寒くなってきてボサが減り始めました。狩猟可能な射撃線に着く前に、カモに見られてしまいます。
仕方ありません、多少足元からカモが飛ばれても、多少遠回りしても、絶対に見られない方向から向かいます。

さて、ボサは薄くなっても、木の小枝は健在です。鳴き声がする方向に四つ這いで1歩出た瞬間に鳴き止みました。
見つかりましたね。2脚ポッドを立てて、直接スコープでカモを探し始めました。
5分ほど探していると、
足元方向30mの近距離にコガモの群れを発見!
ただどれもこれも右往左往と落ち着きがないです。これ以上余計な動きをすると飛ばれます。

で、1羽だけとどまっているコガモのオスを見つけたのですが、小枝と幹が重なり合って撃てません。あっちもこの射撃線なら当たらないことを理解しているかのようなふるまいでした。
それでもこの日は結構風が強かったので、多少でも風で流されてくれて、万が一射撃線に出れば撃とうと、このコガモをターゲットに決めました。

数分の膠着状態の時に、スコープ3時方向から、8時方向に泳ぐコガモのオスを発見!
障害物なし!
迷うな!隠れる前に撃つ!
ぱああああああん!!


バタバタバタバタ!

しまった!!焦った!!
久しぶりの出猟で、1回目の絶好の機会を見逃す心の余裕を持てませんでした。
同じ射撃線で次の機会を待つべきだった・・・。
正直、飛び方がちょっとおかしかったので、半矢かな?!って、結構周辺を探したのですが、結局何も見つかりませんでした。

この日先輩から、
「エアーライフルの最大の敵は風」
ってアドバイスを頂いたのですが、やっぱり私にとってカモ猟最大の敵は、
「心の余裕を持たずに撃つこと」
です。

そんなこんなで、いろいろ大きく動いたせいで、周辺にいたカモはあらかたいなくなってしまいました。




全く何にもいなくなったように見えましたが、双眼鏡で確認すると、
122mの遠距離に数羽のマガモの群れを発見!
正直昨年までなら、そのマガモはターゲットの対象ではありませんでした。
場所的に、ボサのないほうから近づくと確実に飛ばれるし、ボサのある方向からはのり面の条件と木の枝が濃いため、撃てる環境ではないので、エースハンターだと泣きながら帰るしかなかったんです。

しかし今年の相棒はマタドールR5M6.35㎜です。
このまま狙います。

画像はイメージです。120mで6.5mil下なので、赤い★で狙いました。
aokubi.jpg
狙うチャンスに2回恵まれて、外れた水柱が水色●です。

外れましたけど、なんかホッとしましたね。
風が強いという悪条件の中、120mで思い通りの場所に弾が飛んでいるというのが、心底安心できました。


正直、荒れてから射撃場で精密なゼロイン調整を行っていないので、最終的な原因を潰したところで、精密な射撃ができているか?!っていうのは、結局わかってないまま猟期が続いてます。
それでもエースハンターよりははるかに正確なので、今の猟期を送ってます。

そんな状況下でも、120mで惜しい射撃ができたわけです。
つまり、もしかしたら風さえなければ青首に当てられたかもしれないって、言い訳ができるわけです。
長距離マガモが外れたのは風のせいだと。

しかし一方で、コガモを外したのは別です。あれほど遠回りして、時間かけて、ようやく30mの射撃線でコガモの群れを発見できたにもかかわらず、絶好の位置とはいえ、焦って引き金を引いてしまいました。
短距離コガモが外れたのは己のせいだと。


私は元々インドアなので、道具のせいにしてると狩猟って行為自体が辛くなるのですが、道具が信じられるとなると、とたんに面白くなりますね!
まあこれも正直、体力的には自信が無い私が、一般的にはあり得ない銃を持ち歩き、その銃で命を狙う行為を行うのは、強烈な集中力を伴う行為なので、なかなか言葉としては伝えられないのですが、
「猟場に行くまでは心も体も重く、猟場についてからは緊張感とともに体が軽くなり、スコープにターゲットを収めた時には最大限の集中力と緊張で充実感に満たされ、帰宅する車の中で感じたことのないほどの解放感とともに疲労が押し寄せます。」

大概、1度狩猟に出るか射撃場に行くと、数日は体が悲鳴を上げます。
今回、狩猟後にすべての猟具の洗浄と、手動の空気入れも行ったので、いつも以上に体の悲鳴は激しいものでしょう

それでも、狩猟を続けているのは、これ以上ない「非日常性」を楽しんでいるおかげだと思います。






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