「芸のためなら女房も泣かす、それがどうした文句があるか?!」
昭和の芸事を代弁する歌詞ですね。
「芸人たるもの、一般人から面白い!!って思われてなんぼのもんじゃって話や!!女も酒もギャンブルも、一般人が経験できないことを率先してやれているからこそ芸事に深みが出るんだよ!!芸人ってやつは!!」
SDG's全盛の現代人には卒倒するほどの強烈なフレーズでしょうね。
さて、昭和の話ついでに、かつて「もうパンツは履かない。」って名言を残した勝新太郎さんをご存じでしょうか?!
いわゆる薬物も浮気もバンバンだった昭和を代表とする名優です。
で、その時代を生きた「勝新太郎」の座頭市を、最近YouTubeで拝見するんですが、いやあ!今見ても男が惚れるほどの名優ですよ!!
余談で、今では超禁止用語の「ド目kuら!!」ってセリフが飛び交うのも、あの時代を知っている私にとってはたまらないものがあります。
さてさて、今回皆さんに話をしたいのは「作品」と「作家」の関係性についてです。
簡単に言うと私は、アート作品と作家のプライベートって切り離すべきだと考えています。
アーティストがどんなゲス野郎でも、作品が良かったら、作品は褒めるべきではないですか?!
まあ一般的にわかりやすい話から入ると、チャゲ&飛鳥ってご存知でしょうか?
そのASKAさんが薬物で逮捕された時、CD売り場からCDが撤去されたことを覚えてますか?
あとピエール瀧さんも薬物逮捕後、当時それこそ色々ありました。Wiki見てください。
今現在で言うと、松本人志さんですよね。お笑いを作品ととらえるのであれば、作家のプライベートは別物です。
反論がある方なら、例えばピカソの作品を擁護できますかね?!言葉選ばず書きますが、あいつは女に対してクズですよ!成金がおちいりやすい典型的な女系のクズです。
証拠記事はこちら、このネット記事だけではなく、もっともっと情報はありますので。
さてさて、ピカソの作品がいまだに何十億円って価値があるのは、それが作品に対しての評価ですよね?
私がこの記事で言いたいのがそれです。
チャゲアスの曲に魅了されてきたファンたちは、チャゲアスの曲が好きだったからファンだったんですよね?
そんなファンに対して聞きたいんですが、ASKAが逮捕されて、その楽曲の作品的価値は下がったんですか?
ピエール瀧さんが逮捕されたからと言って、作品的価値は下がったんですか?
いったいいつから芸術的価値をマスコミ同調とする流れになってしまったんでしょう。本当に馬鹿馬鹿しい。
作家本人が、本当に人間的クズであったとしても、作品本体が素晴らしければアートとして評価が高い。
それがアート作品に対する、本質的純粋な評価なんじゃないでしょうか?
はああ、なんでこんな単純なことが理解できない世の中になってしまったんですかねえ・・・。
P.S.坂口拓さん、石井東吾先生、ダブル主演の「1%er」が、上映中止に落ちってしまいました。
理由として、園子温監督の性加害問題に、坂口拓さんが今更になって巻き込まれた形だからです。
配給会社のコメントはこちらから。
いやあ!!残念!!
この映画楽しみだったんですよ!!
戦闘術の使い手で俳優最強の坂口拓さんと、開祖ブルースリージークンドーの達人である石井東吾先生と、両人とも私は好きでYouTubeチャンネル登録してますからね。
本当に悔しいとしか言いようがありません。
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