北陸新幹線が福井延伸して、早一ヶ月です。
ゴールデンウィークも重なり、全国TVで福井県が紹介されることが多くなりました。
まあサンダーバードやしらさぎの件もあり、関西地区から福井県にはアクセスしにくくなりましたが、関東方面から福井県への観光客は増えました。
特に嶺北地方で言うと、
「恐竜博物館」「永平寺」「東尋坊」
が、3大名所として有名になりつつあり、
「芦原温泉」と「朝倉氏遺跡」が次候補となりつつあります。
今回私がお勧めするのが、朝倉氏遺跡の中でも博物館のほうです。
多分、全国放送の中でも朝倉氏遺跡のことをきちんと伝えていないことが多いと思います。
実はすげえ!!んですよ朝倉氏遺跡って!!
なぜなら、国から三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)を受けているのは、6か所しかありません。
列記すると、
京都の「金閣寺」「銀閣寺」「醍醐寺・三宝院庭園」
奈良の「平城京・東院庭園」
広島の「厳島」
そして我が福井県の
「一乗谷朝倉氏遺跡」
です!
さてさて、実は福井県人でも朝倉氏遺跡のすごさをわかっていない方が多すぎます。
今回は端的に伝えます。
なぜ朝倉氏遺跡が三重指定になったのか?!
それはこれほど大規模に戦国時代当時の生活様式を残している遺跡は、日本全国においてないからです。
では、なぜ日本一の遺跡となったのか?!
それはリアルアトランティス遺跡だからです。
戦国時代当時、福井において朝倉氏は、京都に負けないほどの都市を作りまとめていました。
そして当時、一向一揆衆を討伐するため、織田信長は北陸を北進しました。
実は福井県嶺北地方の寺社仏閣のほとんどが、織田信長に焼かれています。
そして朝倉一族が築き上げた都市を、織田信長は三日三晩かけて焼けうちにしました。
当たり前ですが、一瞬にして町としては崩壊しました。
その後、焼け野原になった土地に、ぽつりぽつりと農民が戻ってきて、田畑にしました。
つまり、農民が戻ってくるまで、1つの都市がまるまる焼けうちされた日を境に、ほぼ生活様式を残したまま土砂に埋もれ、保存され続けたということです。
わかります?
文献で、焼けうちされた日時は確定されています。
だから遺跡から出土されるのは、日時確定された出土品ばかりなんです。
細かい話なのですが、遺跡でトイレが確定されたのが、朝倉氏遺跡が初だとのこと。
その決定的証拠が、金隠しの板が出土され、その付近の土から異常なほどの大腸菌が発見されたとのこと。
面白いですねえ、全国各地でトイレっぽい穴は見つかっていたのに、確定されたのが朝倉氏遺跡が初ですって。
さてさて現在、全国放送を通じて有名になりつつあるのが、
「朝倉氏遺跡 復元街並」
です。
焼けうちされてますからね、当時の建物何て一切残っていません。
でも建物礎石とか、石垣とか、当時のままの状態で、まるで化石のように残されているわけです。
その礎石等をそのままに、当時の建物はこうだったのではないか?!って思考され建てられたのが、復元街並みです。
この復元街並みでは、甲冑・お姫様・戦国衣装の着付け体験ができるので、それこそ写真スポットとして、県外客から人気になるのは、まあわからんではないです。
写真は復元街並ではないのですが、天気が良い日の散策には絶好の場所です。
さて、福井県民あるいはマイカー観光客なら、是非お勧めしたい場所があります。
それが「朝倉氏遺跡博物館」です。
復元された街並で、何となく当時のことを感じるかもしれませんが、博物館は出土品から、当時の生活様式を事細かに教えてくれます。
なかでも朝倉館原寸再現って、当時の当主の館を再現されている空間が面白く、休憩所も多くまったりできます。
そして、復元街並みのように、甲冑や着物の着付け体験もできるので、私は写真映えで言うと、原寸再現された朝倉館のほうが好みですね、撮らんけど。
で、SHOP併設のカフェと言いながら食事もとれますし、思っているよりも福井県人納得のそばが提供されます。
つまり、博物館カフェランチを挟んで、午前博物館、午後復元街並みって、マイカー観光客なら一日楽しめる場所です。
実際に私もそんな感じで楽しまさせていただきました。
実は私、博物館は2回目で、前回は昨年の冬でした。
スケジュールがタイトで、午前中だけの計画だったのですが、あまりにも面白くて必ずもう一度、それも復元街並も含めて見て回るために、季節が良くなった時期に・・・っていう、リベンジでした。
新幹線開通で、恐竜博物館は県内客でもトップシーズンは近寄れなくなってきていますが、負けず劣らずの観光スポットで、まだまだ県外客には知られていないのが、朝倉氏遺跡博物館です。
復元街並に興味ある方でも、まずは朝倉氏遺跡博物館から見てもらい、当時の生活様式を細かく知ったのちに、復元された街並みを見られた方が、知識的にも面白く見ることができますよ。
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