能力と興味と自分と他人

この動画の話始めのテーマが面白かったですね。
いわゆる「能力」ってどういう意味で使っていますか?
ってテーマです。
大多数派の能力とは、金銭的に稼ぐ能力あるいは、学力的に点数を稼ぐ能力のことが、普通に語られるとのこと。
でも東出さんはそう思わず、例えば狩猟で高級な銃を持っていたとしても、狩猟の能力がないとまるで獲物を捕らえることができないと。
つまり東出さんにとって能力とは「生きる力」みたいなことを話しているわけです。
それを取材者がまとめて、多数派の能力の評価基準が他人にあり、東出さんの評価基準は自分であるって話をしてました。

なるほどなあ・・・東出さんは元々の資質があったとしても、山暮らしをし始めてから、特にそういう考えに行きついたんでしょうね。
というか、私もすげえ東出さんの考え方わかります。
それは私が狩猟をやってきたからではありません。
何度も書いていますが、私は元々アマチュアベーシストで、学生時代からベースを弾いてました。
で、高級な銃だからと言って猟果に繋がるとは限らないし、同じ意味で高いベースだからと言って良いフレーズが弾けるとは限らないんです。
そんなことをインドアの学生時代から知っていました。いわゆるベースの能力値を金で買うことができないって。

そうなんですよ、私は若い時から金で買える物よりも、金で買えない能力を欲しがる人間でした。
アウトドア嫌いな私が狩猟に興味を持ったのも、金で買えないものに惹かれたって、今から思えば必須でしたね。
大多数の人間は、敷居が高いからって、狩猟も楽器も手を出さないのでしょうね。
私はどれだけ敷居が高いからといっても、自分の興味を抑えることができない人間です。

なんかねえ・・・金で買える楽しみってねえ・・・。
この感覚は、狩猟をされている方になら一部理解されると思います。


最近なんですけど、年取ってから色々と手持ちの洋服が似合わなくなって、処分しています。
で、似合う洋服が・・・なかなかないんですよね。
で、無いなら作ったほうが早いのでは?!って考えが頭を渦巻いて、ミシンの購入を迷っています。
ミシンなんか買ったら、もう後には戻れないなあ!!って理解しているので、ずっと躊躇している感じです。

最後に、この記事でスリーセブンとなりました。
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なんか我ながらすげえなあ!平均すると1週間に2記事アップしてきたことになります。








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